贖罪論 その1 贖いとは何か?

 Psa 49:7  まことに人はだれも自分をあがなうことはできない。そのいのちの価を神に払うことはできない。 

Psa 49:9  とこしえに生きながらえて、墓を見ないためにそのいのちをあがなうには、あまりに価高くて、それを満足に払うことができないからである。 

 この世と地獄から救われて天国に行くために、なぜイエス・キリストの名前によって願う必要があるのであろうか?

それは、イエス・キリストがかかって死なれた十字架で流された血の意味を知ることにそのかぎがある。

古代から、全能の神様に対して何かを強く願う時に、動物を殺して血を流させるという儀式があった

イスラエルでも、古くからその儀式は行われていた。

イスラエル人が生贄を全能の神様にささげていたのは、農業や牧畜の繁栄と共に、死後の世界でも祝福されるためでもあった。

人間は、大昔から、目に見えない神様にとても重要なことを求める時には、昔から動物を殺して天の神様に雨を降らせたり、天災から免れさせていただくように願い求めていた。

イスラエルの場合も、有名なエクソダス:奴隷にされていた200万人のイスラエル人たちが、エジプトから民族ごと脱出しようとしたときに、エジプトに行われた神様の恐ろしいさばきが自分たちに来ることの無いように、羊を殺してその血を自分たちの家の柱に塗ったのである。

また、イスラエルの神殿では、必ず牛や羊を日々殺してその血を神様にささげ、イスラエル民族の守りと祝福を祈っていた。

更に、赤ちゃんが生まれた時にも、災いから守られるようにと、牛、羊、鳩などの動物をその赤ちゃんのために殺して神様にささげ、その赤ちゃんが神様に受け入れられて幸福に生きるように願い求めていた。

似たようなことが世界中の宗教にもある。多くの宗教、特に昔から続いている宗教では、動物の血が、祈願に使われている。

それは、日本の神社にもある。神社に入ろうとすると、入り口には鳥居が鳥居は原則として赤色である。それは、古代の日本でも、神に対する祈願をする時に、必ず動物の血を流してきた証である。

このように、神様の守りと祝福を受けるために動物の血によって契約する儀式は世界中にある

そして、動物の血による契約は、地上における現世御利益としては、なにがしかの役に立つかもしれないが、地上から永遠に至るまでのこの世のすべての場所、時間についての幸福の約束を得ることはできない。

あまりにも価値がなさすぎるからである。

Psa 49:9  とこしえに生きながらえて、墓を見ないためにそのいのちをあがなうには、あまりに価高くて、それを満足に払うことができないからである。 

そこで、天地創造の神と、その子イエス・キリストは、あまりにも人間を愛しておられたので、イエス・キリスト自身がいけにえとなって、人間の救いのための契約を結ぼうと決意され、それを実行されたのが十字架の上で殺されて流された血であったのである。

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